【成田緑夢は事故で障害者に?】プロフィール

【名前】 成田 緑夢(なりた ぐりむ)
【生年月日】 1994年2月1日
【出身地】 大阪府大阪市
【血液型】 AB型
【所属】 近畿医療専門学校

成田緑夢(なりたぐりむ)さんは、大阪府大阪市住之江区出身のフリースタイルスキー(ハーフパイプ)の選手です。
2018年に行われた平昌パラリンピックでは、男子スノーボードバンクドスラロームにて金メダルを獲得。また、スノーボード男子クロスでは銅メダルを獲得をし、大きな話題となりました。

ここでは、そんな成田緑夢さんの今までの経歴や障害者になった理由、これからの目標などを中心にご紹介をしていきます。共感覚の持ち主かも?という噂にも迫っていますよ。
関連記事
【成田緑夢は事故で障害者に?】アスリート一家出身

成田緑夢さんは、トリノオリンピックにスノーボード日本代表として出場をした兄・成田童夢さん、そして同じくトリノオリンピックの女子スノーボード日本代表であった今井メロさんを姉に持つ、『成田3兄弟』の末っ子です。
父はスノーボードコーチの成田隆史さんであり、幼い頃から父の英才教育の元、スノーボードに全力を注いで育ちました。兄弟全員がスノーボード選手でありオリンピアンということからも、家族一丸となった努力、そして素晴らしい身体能力の持ち主というのがわかります。

【成田緑夢は事故で障害者に?】事故前の経歴は?
成田緑夢さんは、わずか4歳という幼さで、1998年長野オリンピックのスノーボードデモンストレーターを務めました。そして小学校の頃から多くの国際大会に出場。

この頃から素晴らしい技術力も持っており、バンクーバーオリンピックの金メダリストであるショーン・ホワイト選手の見せた新技「ダブルマックツイスト1260。」をわずか16歳で一発で決めるほど。
また、同時にトランポリン競技も行っており、高校2年生の時には全国高校選手権の男子個人にて歴代最高得点16.3点を記録!最高難度賞を受賞したほどです。
やはり、素晴らしい身体能力の持ち主ですね!
2012年には、フリースタイルスキー・ハーフパイプに取り組み始めます。2013年1月、2月には「FISワールドカップ」に3回出場。2013年には「フリースタイルスキー世界選手権」の日本代表にも選ばれます。
兄や姉がオリンピックに出場し、成田緑夢さんもオリンピック出場を目指していたのは間違いありません。

【成田緑夢は事故で障害者に?】事故で障がい者に

オリンピックも身近に感じていた成田緑夢さん。そんな成田緑夢さんに不慮の事故が訪れます。
2013年4月、トランポリンの練習中に着地に失敗。この事故により、左足に腓骨神経麻痺の重傷を負ってしまいました。
成田緑夢さんはトランポリンで空中での回転や感覚などを覚えるため、トランポリンを行っていたようです。そして、両足首には、スキー板の重量を想定した2.5㎏ずつの重りを各足に付けており、その状態で5mにも及ぶ高さの2回転宙返りを繰り返していました。
そして、跳んだ際にバランスを崩してしまい、そのまま落下。左肩と左ヒザを強打し、左足が真逆の方向に曲がってしまったのです。
これによって重傷を負ってしまった成田さんには、『靭帯断裂』『半月板損傷』『腓骨神経麻痺』という身体障害者手帳6級相当の診断が下されます。

医師からは「最悪の場合は切断。歩けるようになる確率は20%」との言葉が・・・。この言葉を聞いた両親はショックのあまり、本人に伝えることができなかったと言います。
医師は足の切断を強く勧めたそうですが、成田緑夢さんの父が大反対。「命を落としても良いから足だけは残してくれ」とまで言ったそうです。これにより、左足を温存する大掛かりな手術を受けます。
【成田緑夢は事故で障害者に?】懸命のリハビリ
成田緑夢さんは、医師から足の切断をも迫られるほどの重傷を負いましたが、現在はアスリートとして復活をしています。

これには、壮絶な痛みとリハビリ、そして治療を乗り越えた道のりがあったのです。
事故後は4度もの手術に耐えながら、退院から半年後にはスキー靴を履いて練習を再開しています。

本来であれば、30分も歩けば壮絶な痛みが襲い、氷水などで冷やさなければいけない状態です。左ヒザから下の感覚もありません。しかし、成田緑夢さんの父はそんな息子を見て練習の再開を促しました。
【成田緑夢は事故で障害者に?】金メダルを獲得
血のにじむような懸命な練習を行ってきた成田緑夢さん。
障害を持ちながらも頑張る姿にファンからの手紙が届きます。

怪我をしても頑張っている緑夢さんに勇気をもらった!
そう書かれていたファンからの手紙を見た緑夢さんは、自分がスポーツを頑張ることで誰かを励ませるかもしれないと強く感じたそうです。
そして、ハーフパイプの競技を再開した成田緑夢さんは、ついに平昌パラリンピックに出場!男子個人スノーボードのバンクドスラロームでは見事金メダルを獲得!そして、男子クロスでは銅メダルを獲得するという快挙を達成!

足の切断を迫られるほどの大怪我を負って、これほどまでの素晴らしい結果を残すなんて本当にすごすぎます!
【成田緑夢は事故で障害者に?】自分との誓約書とは?

成田緑夢さんの素晴らしい目標の達成の裏には、『自分との誓約書』というものがあったそうです。
これは、1カ月単位で自分と誓約書を結んでおり、誓約の内容に付け加え、必ず『納期』も結んでいるとか。守れなかった場合は、丸刈りにするなどのペナルティも課したそうです。


結果より、人に影響を与えられるアスリートになりたい!ヒトに夢、感動、希望、勇気を与えられるアスリートになりたい!
こう語る成田緑夢さん。誓約書の数はもう数百枚にも及ぶそうです。この自分との闘いに勝ってきた結果が、成田さんが2つものメダルを獲得した理由でしょう。

【成田緑夢は事故で障害者に?】現在は東京五輪を目指す!

成田緑夢さんは、2018年の平昌パラリンピックでメダルを獲得した後の2018年3月にスノーボード競技からの引退を発表しています。
しかし、これはアスリートとしての引退ではありません!スノーボード競技は引退するものの、新しい競技に挑戦し、その競技で東京パラリンピックを目指すと言うのです。
素晴らしきチャンレンジ精神です!
スノーボード競技引退後は、陸上やカヌーなどの10競技に挑戦をし、どの競技に集中するかを試行錯誤していた成田さん。そして、ついにその競技が決定したそうです。
成田は平昌後にスノーボードから引退宣言。東京大会にどの競技で挑むか10競技に挑戦しながら試行錯誤する中で、5日にツイッターで3年前から始めた走り高跳びに絞ったことを表明していた。7月に出場したジャパンパラ大会では1メートル75をマーク。自己ベストは1メートル80で世界ではトップ10に入る実力だという。
成田さんが今現在、挑戦している競技は『走り高跳び』だそうです!!しかも、自己ベストは世界トップ10にも入る実力!
東京パラリンピック走高飛びで目指す事をここ宣言します!♪♡
— 成田 緑夢 (@gurimunarita) November 5, 2018
走り高飛びも、まだ競技歴は2、3年程で、まだまだ初心者ですが、僕の夢は夏冬のパラリンピック・オリンピックに出場する事!だから次の目の前の一歩は夏のパラリンピック出場と目標と定め頑張ります! pic.twitter.com/RtAM7pG9aC
なんと、パラリンピックだけではなく、オリンピックにも出場することを視野に入れているんですね!本当にアスリートとして尊敬すべきチャンレンジ精神を備えた方です!ぜひとも応援していきましょう!
【成田緑夢は事故で障害者に?】共感覚の持ち主?

成田緑夢さんは、かつてバラエティー番組で特殊な能力があることを告白しています。
「他人からビックリされる私の言動」というテーマでの中で、成田さんは「モノの動きがエネルギーで見えるんですよ。カラーで。」と自身の特殊能力について明かしました。成田さんは、モノの動きや人のエネルギーがまるでサーモグラフィのようにカラーで見えるそうです。

これに対し、ネット上では「共感覚の持ち主!?」「共感覚を持ってるなんて羨ましい!」という声が出ています。共感覚とは文字や音に色を感じたり、形に味を感じたりなどする知覚現象のことです。共感覚の持ち主は10万人に1人という、かなり貴重な存在。
ぜひこの共感覚という特殊な能力を活かし、東京オリンピックでも素晴らしい結果を残してほしいですね!
【成田緑夢は事故で障害者に?】まとめ

平昌パラリンピック・スノーボード競技で2つのメダルを獲得した成田緑夢さんについてご紹介しました。
不慮の事故に見舞われながらも、壮絶な努力と自分との闘いに勝ちあがってきた成田緑夢さん。現在特訓中なのは、走り高跳び。東京オリンピックでも素晴らしい結果を私たちに聞かせてほしいですね!応援しています!